【勝手にコラム】エンディングノートと死生観
最近では、映画や書籍などの影響もあり、
ようやく「エンディングノート」が市民権を得つつある世の中になってきました。
エンディングノートとは、生前のうちに終末期つまり死にまつわる事柄、
たとえば、相続や介護の仕方、どんな死に方をしたいのか(自宅か病院か)などを
記したもので、特に決められたフォーマットがあるものではありません。
多くの日本人が意識せずとも属し、日ごろの考え方の根底にある仏教でも
死生観は大きなテーマの一つとなっています。
(もちろん仏教だけでなく、キリスト教などほかの宗教にとっても
死は大きなテーマの一つでありますが、ここでは最も多くの日本人が属しているであろう
仏教で考えています)
私は僧侶でもなければ、信心深い仏教徒でもないので、
詳しいことを指摘されると異なる部分もあるかとは思いますが、
「輪廻転生」という言葉がある通り、仏教にとって死は通過点であり、
生の近くにある身近なものとして扱っていると聞いたことがあります。
確かに現代に生きる私たちにとっても、この考え方は有効に思えます。
というのも、自分自身の死を考えるという事は、自分自身の生き方を
考える事にも繋がるものです。
こんな言い方をすると不謹慎かもしれませんが、仕事では常に最終的な目標(ゴール)を
据え、その目標に向かって手順や手段を考えていくことが重要であります。
もちろん人生にとって死は目標ではありませんが、死を自分自身で規定し、
どのような死に方をしたいのかを考える事で、日々の生き方も変わってきます。
「健康で家族や友人に囲まれた暖かい死に方をしたい」と考えるならば、
日ごろから健康に無頓着であったり、人に対して粗暴な態度を取ることは
逆効果になってしまいます。
また、「最期まで好きな仕事を全うする死に方をしたい」と考えるならば、
日々の仕事に対して真摯な態度でがむしゃらに頑張る生き方が好ましいと言えます。
このように、自分自身の死に方を考えることで、逆に自分の現在地を知り、
今後の生き方をより充実したものにできるのではないかと思います。
日本人だけでなく、世界中のどんな人にとっても死は恐ろしく、忌む存在です。
それゆえ、死について考えることは「縁起でもない」と考えがちですが、
自分の死について考える機会を持つというのは良い風潮ではないかと思っています。